初戦敗退“常連”が一転…大躍進の公立校 元プロが施す意識改革「そんな甘くないけん」|高校野球
こんにちは、今日は島根県の矢上高校野球部についてお話ししたいと思います。このチームは、元広島カープの山本翔氏が監督に就任してから、驚くべき復活劇を見せています。どんな劇的な変化があったのでしょうか?一緒に見ていきましょう。
まず、山本監督の経歴を振り返ってみましょう。山本監督は、2002年に広島カープに入団しましたが、残念ながら1軍出場はありませんでした。しかし、その後は会社員として働きながら、広島安佐ボーイズで小学生や中学生に野球の基礎を教えたり、広島経済大学の監督として全日本大学野球選手権に出場したりと、指導者としての才能を発揮しました。そんな山本監督が、2017年夏に矢上高校の監督に就任したのです。
しかし、山本監督が矢上高校にやってきたとき、チームは低迷期にありました。1997年夏には和田毅投手(現ソフトバンク)を擁する浜田と甲子園の切符をかけて県大会決勝を争ったこともあったチームですが、2000年代に入ってからは県初戦敗退が続いた時期もありました。選手たちは甲子園で校歌を歌いたいという夢を持っていましたが、実力とは程遠い状況でした。
そこで山本監督は、まず選手たちの意識改革から始めました。「甲子園で校歌を歌いたい」という夢は素晴らしいですが、「まず浜山(県大会決勝で使用する球場)で歌ったら? そんなに甘くないけん」と言って、一段ずつステップアップするように小さな目標を示しました。また、全力疾走を徹底するなどの基本的なことから厳しく指導しました。山本監督は時にマスクを被りながら、1日3時間の練習で選手たちに鍛え込みました。
そして就任2年目の秋に成果が表れ始めました。初戦で飯南を15-0(5回コールド)と圧倒したのを皮切りに快進撃を続け、23年ぶりの県4強入り。3位決定戦では開星に12-14で競り負けたものの、両チーム合わせて38安打の打撃戦を展開してみせました。今秋の中国大会にも進出し、全国屈指の強豪校と対戦しました。
このように矢上高校野球部は、山本監督の指導のもとで見事な復活を遂げています。選手たちは、山本監督の経験や知識を吸収し、日々成長しています。山本監督は「まだまだやれることはたくさんある」と言っていますが、今後の矢上高校野球部の活躍に期待したいと思います。それでは、今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました。
まず、山本監督の経歴を振り返ってみましょう。山本監督は、2002年に広島カープに入団しましたが、残念ながら1軍出場はありませんでした。しかし、その後は会社員として働きながら、広島安佐ボーイズで小学生や中学生に野球の基礎を教えたり、広島経済大学の監督として全日本大学野球選手権に出場したりと、指導者としての才能を発揮しました。そんな山本監督が、2017年夏に矢上高校の監督に就任したのです。
しかし、山本監督が矢上高校にやってきたとき、チームは低迷期にありました。1997年夏には和田毅投手(現ソフトバンク)を擁する浜田と甲子園の切符をかけて県大会決勝を争ったこともあったチームですが、2000年代に入ってからは県初戦敗退が続いた時期もありました。選手たちは甲子園で校歌を歌いたいという夢を持っていましたが、実力とは程遠い状況でした。
そこで山本監督は、まず選手たちの意識改革から始めました。「甲子園で校歌を歌いたい」という夢は素晴らしいですが、「まず浜山(県大会決勝で使用する球場)で歌ったら? そんなに甘くないけん」と言って、一段ずつステップアップするように小さな目標を示しました。また、全力疾走を徹底するなどの基本的なことから厳しく指導しました。山本監督は時にマスクを被りながら、1日3時間の練習で選手たちに鍛え込みました。
そして就任2年目の秋に成果が表れ始めました。初戦で飯南を15-0(5回コールド)と圧倒したのを皮切りに快進撃を続け、23年ぶりの県4強入り。3位決定戦では開星に12-14で競り負けたものの、両チーム合わせて38安打の打撃戦を展開してみせました。今秋の中国大会にも進出し、全国屈指の強豪校と対戦しました。
このように矢上高校野球部は、山本監督の指導のもとで見事な復活を遂げています。選手たちは、山本監督の経験や知識を吸収し、日々成長しています。山本監督は「まだまだやれることはたくさんある」と言っていますが、今後の矢上高校野球部の活躍に期待したいと思います。それでは、今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました。
コメント