B-Baseball.comは、少年野球のポータルサイトです。

中国を駆け回る東福岡高甲子園初出場時の1年生捕手 日立グループ現地事業の広報・宣伝責任者|大学野球

中国を駆け回る東福岡高甲子園初出場時の1年生捕手 日立グループ現地事業の広報・宣伝責任者|大学野球

中国を駆け回る東福岡高甲子園初出場時の1年生捕手 日立グループ現地事業の広報・宣伝責任者 ドラフト指名なしの悔しさ乗り越え「野球部後輩のためにも」
…も打撃三冠王、MVP、ベストナインを獲得。この年に米国で開催された日米大学野球の日本代表にも選ばれた。チームには後にロッテで活躍する里崎智也(帝京大)…
(出典:西スポWEB OTTO!)


(出典 nishispo.nishinippon.co.jp)

31年前の夏、高校1年の嶋田功一は、うなだれながら甲子園の土をかき集めていた。夢舞台では手も足も出なかった。
1993年、全国高校野球選手権大会に初出場した東福岡高で、1年生ながら3番捕手として先発出場。代表49校中、唯一の1年生スタメン捕手としてスポーツ紙で大きく取り上げられた。

予選の福岡大会では打撃で活躍し、自信を持って東海大四高(南北海道)との初戦に臨んだが、3打数無安打2三振に終わった。守備でも3年生エースの前田浩継(元ヤクルトなど)をうまくリードできなかった。甲子園の雰囲気にのみ込まれてしまった。

94、95年は甲子園出場を逃し、巨人前監督の原辰徳ら数多くのプロ野球選手を輩出する東海大に進学した。当時の監督は、原辰徳の父で福岡・三池工高を率いて夏の甲子園を制覇した原貢(故人)だった。
原点は福岡県粕屋町の大川小1年の時に始めたソフトボール。社会人野球で活躍した父に手を引かれ、毎日午前6時ごろから朝練に励んだ。日が昇る前にたたき起こされ、最初はつらいだけだったが、上達するにつれ、やる気も増した。「いつかプロ野球選手に」。家族で同じ夢を追いかけ始めた。

東海大では1年で正捕手の座をつかみ、3年春には首都大学リーグで優勝、自らも打撃三冠王、MVP、ベストナインを獲得。この年に米国で開催された日米大学野球の日本代表にも選ばれた。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA