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昭和の輝き再び!プロ野球名場面10選 – 伝説の名勝負を振り返る

はじめに

昭和という時代は、プロ野球において数々の伝説的な名場面を生み出した。当時の選手たちの活躍は、今でも語り継がれており、熱狂的なファンを魅了し続けている。本記事では、昭和のプロ野球界に残された名勝負の数々を振り返りながら、その魅力に迫っていきたい。

王貞治の活躍

昭和を代表する名選手の一人が、王貞治である。彼の活躍は言うまでもなく、プロ野球史に燦然と輝く名場面を数多く残している。

756号本塁打達成

1964年9月13日、王貞治は米大リーグの本塁打記録保持者バーブ・ルースの記録756号に並ぶ756号本塁打を放った。この偉業は、日本のみならず世界中のファンから熱狂的な歓声を浴びた。王自身も「この記録は一生の宝物」と語っており、まさに伝説の瞬間であった。

王の756号本塁打を振り返れば、ホームグラウンドだった東京の後楽園球場に集まった7万人のファンの興奮は想像に難くない。この日、王は3打数3安打の大活躍で、記録に一歩近づいた。そして6回の第3打席、記念すべき756号本塁打を中堅手前に放ち、観衆から割れんばかりの拍手喝采を受けたのである。

日本シリーズ決勝の逆転サヨナラ

1971年の日本シリーズ第6戦、王貞治は阪急の山田久志から逆転サヨナラ3ランを放った。この一打は後に「伝説の一打」と呼ばれるようになり、プロ野球史に燦然と輝く名場面となった。

当時の状況を振り返ると、巨人は6回を投げ終えた時点で1点を追う劣勢だった。しかし、王の一打によりスコアは一気に4-3と逆転。ナイター初の日本シリーズ決勝戦は、この劇的な逆転劇により巨人の優勝で幕を閉じたのである。今でも巨人ファンの記憶に新しい、感動的な一場面だ。

阪神タイガースの活躍

昭和のプロ野球界を彩った名球団の一つが、阪神タイガースである。熱烈な応援に支えられ、チームは数々の名場面を残している。

3連続バックスクリーンホームラン

1985年4月17日の巨人戦7回裏、阪神の打線が見せた「バックスクリーンホームラン3連発」は伝説の名場面だ。3番手のバース、4番手の掛布、5番手の岡田の打者3人が続けてバックスクリーンへ本塁打を放ったのである。

球場の熱狂ぶりは想像を絶するものがあっただろう。この日の観客動員数は実に5万6千人を超えており、連続ホームランの度に割れんばかりの歓声が上がったに違いない。打者一人ひとりのホームランを称えた拍手が、その後の打席に続いたことだろう。この出来事は、阪神ファンにとって永遠の思い出となった。

初優勝への挑戦

1964年と1967年、阪神は日本シリーズに進出した。しかし、いずれの年も最終的には敗れ去り、チームは待望の初優勝を逃した。

特に1967年の日本シリーズは熱戦だった。対戦相手の巨人とは7ゲームを戦い、最終的には4勝3敗と僅差で敗れたのである。最終戦の9回2アウト満塁のチャンスは、阪神ファンの胸を熱くさせただろう。しかし、そのチャンスは逃がされ、遂に優勝の喜びは手に出来なかった。このように、昭和の阪神タイガースは数々の名場面を残しながらも、優勝を指一本で逃した悔しい思い出も残っている。

長嶋茂雄の引退試合

昭和を代表する名選手として、長嶋茂雄の名を挙げない訳にはいかない。彼の活躍と引退試合は、多くのファンの心に刻まれている。

幻のサードアウト

1958年の日本シリーズ第7戦、長嶋茂雄が見せたセンター前への好打は、プロ野球史に残る名場面の一つである。この試合は後に「幻のサードアウト」と呼ばれるようになった。

当時のことを振り返ると、巨人は最終回を1点ビハインドで迎えていた。長嶋の一打で同点が生まれ、更に続く打者の本塁打で逆転に成功。結果的に巨人は2年連続の日本一に輝いたのである。長嶋の一打こそが、試合の流れを決定付けた名場面だったと言える。

最後の一戦

1968年10月20日、昭和最後の日本シリーズで長嶋茂雄は現役生活に別れを告げた。最終戦は広島戦だったが、10回を終えてもスコア は動かず引き分けに終わった。長嶋は最後の試合でヒットを放つことが出来なかったものの、引退セレモニーでは万雷の拍手に包まれたという。

引退試合を前に、長嶋は「最後に本塁打が打てたらいい」と願っていたそうだ。結果的には願いは叶わなかったものの、その姿勢こそが昭和の名選手の矜持であり、ファンを魅了する要因だったのかもしれない。最後の一戦での長嶋は、多くのファンの脳裏に焼き付いた名場面となったに違いない。

天覧試合

1930年代の昭和初期、プロ野球界には珍しい出来事があった。それが、「天覧試合」と呼ばれる一連の試合である。

「皇居天覧試合」の概要

皇居外苑の土手に観覧席を設け、プロ野球の試合を行った。これが「皇居天覧試合」の正体だ。当時の昭和天皇や皇族の方々も観戦したと言われており、一種の社会現象ともなった。

この試合は、1936年5月6日と10日に行われた。出場球団は東京の大毎ジャイアンツと大阪の花園野球倶楽部だった。試合運営には、練習試合であったにも関わらず大々的な宣伝が行われた。その結果、観客動員数は15万人と記録されており、空前の人気ぶりを物語っている。

サヨナラホームランの名場面

この「皇居天覧試合」では、花園側の増田宜ニ郎がサヨナラホームランを放った。満塁のピンチを見事に打開した増田の一打は、天覧試合を一層記念すべきものとした。

増田のホームランは、宮殿の屋根を乗り越えた当時としては類を見ない大飛球だった。そのため、この名場面は後世に「屋根ごえホームラン」と伝えられている。様々な要因が重なり、歴史に残る一打となったのだ。

まとめ

以上、昭和のプロ野球界に残された伝説的な名場面を振り返った。王貞治の活躍、阪神タイガースの熱戦、長嶋茂雄の最後の一戦、そして皇居での天覧試合に至るまで、多くの感動の瞬間があった。これらの名場面は、当時のファンの心に燃え続けるロマンを生み出すとともに、後世の人々にもプロ野球の魅力を伝えている。昭和という時代が生んだ名勝負の数々は、永く語り継がれていく財産なのである。

よくある質問

プロ野球における王貞治選手の活躍とは何ですか?

p. 王貞治は昭和を代表するプロ野球選手の一人で、多くの伝説的な名場面を残しています。代表的なものは1964年に大リーグの本塁打記録に並んだ756号本塁打の達成や、1971年の日本シリーズ第6戦での劇的な逆転サヨナラ3ランホームランです。王の活躍は今も熱狂的なファンの記憶に刻まれています。

阪神タイガースの昭和における活躍とは何ですか?

p. 阪神タイガースは昭和のプロ野球界を代表する名球団の一つでした。1985年4月の巨人戦では、バース、掛布、岡田らが連続でバックスクリーンにホームランを放つ伝説的な場面がありました。また、1964年と1967年には日本シリーズに進出したものの、優勝を逃した悔しい思い出も残されています。

長嶋茂雄選手の引退試合はどのような場面だったですか?

p. 長嶋茂雄は昭和を代表する名選手の一人で、引退試合は多くのファンの心に刻まれています。1958年の日本シリーズ第7戦の「幻のサードアウト」や、1968年の最後の日本シリーズ第10回戦での引退セレモニーなど、長嶋の偉業は伝説として語り継がれています。

皇居天覧試合とはどのような試合だったのですか?

p. 昭和初期には、皇居外苑の土手に観覧席を設け、プロ野球の試合を行う「皇居天覧試合」が開催されていました。1936年5月に行われた大毎ジャイアンツ対花園野球倶楽部の試合では、花園側の増田宜ニ郎がサヨナラホームランを放ち、「屋根越えホームラン」と呼ばれるレジェンドが生まれました。


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